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好きだけを集めて自由に生きるためのあれこれ

世の中は大体思い通りになることを前提にする

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どうも、がわです。


今日は私のマインドについてお話しようと思います。

プロフィールにもかいてあるように、私は世の中は大体思い通りになることを前提にして生きています。

酸素を吸えることが当たり前のように、何の疑いも無い真実だと考えています。

 

なぜなら、全てのことに意味があって、現実を作るのは全て自分次第という哲学を持っているからです。

 

世の中はいつだって中立に存在している

 

『うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい』

相田みつを

 

 

この詩は、知っている人も多いと思います。

私がお伝えしたいのは、世の中に、美しいものなんて存在しないということです。

道端に咲いている花も、花瓶で飾られた花も、枯れて茶色くなった花も、全部ただの花です。どの花がきれいかなのではなく、花をみて、キレイだなあと感じる人がいるだけなんですよ。

 

鼻水をかんだティッシュだって同じです!

かんだあとのティッシュを、大勢の人が汚いと思うから汚いものだと認識するようになりました。赤ちゃんや動物に鼻水をかんだティッシュを渡したとしても、汚いと認識しないですよね?

 

世の中には美しいも、キレイも、汚いも、何も無いんです。

ものはただ、そこにあるだけなんです。

 

自分に起こる現象も一緒です。全部の出来事は、ただ起こっているだけなんですね。それを困難と思うか嬉しいニュースと感じるかは、受け取り方次第で変わります。 

全部自分次第だということが理解できたらどうなるか?

都合よく解釈するクセがついて、思い通りの人生を歩むことができるようになります。

 

全てのことに意味を見出す

今、自分が困難に直面したとしたら、あなたはそのことに対してどう思いますか?

『最悪だ。。』

『どうしたらいいかわからない・・・』

というように、落ち込むかもしれません。

 

起こった事実はどう思っても、変わらず事実として存在しています。泣こうが喚こうが何をしようが、最終的には受け止めるしかありません。

だから今、このタイミングで、何故それが起きたのか?ということにフォーカスするのです。

 

ちょっと、私の昔話をしようと思います。

 

滑り止めが滑り止めじゃない高校受験のはなし

私は、高校受験も大学受験も、むちゃくちゃ落ちました。笑

 

勉強嫌いな自分なりにがんばりましたが・・・、

いやー、ほんとだめでしたね。笑

 

最初の高校受験は、受かって当然なレベルの私立を滑り止めとして受けました。友達何人かと一緒に受けたのですが、私だけ落ちました。

もちろん、とてもショックでしたね。本命の学校でないとはいえ、滑り止めが滑り止めになってないんですよ?

その後、焦りと悔しさでもっと勉強をがんばりました。

 

本命の公立高校受験は、滑り止め受験と同じメンバーで受けました。

同じメンバーというのがなんとも変な感じですよね。また私一人が落ちるかもしれないという不安はたしかにありました。口に出さなくても、きっとみんな可能性として想像していたことでしょう。

 

でも当日は、不思議なことに、不安やみんなの懸念が気にならないくらい『来年の春はこの学校に通ってる私』がとても自然にイメージできたんです。デジャブとは違いますが、当たり前に起こる未来の夢をみているような、不思議な感じでしたね。

 

結果は、合格でした。(やったあああ)

 

受験日にイメージした通り、翌年の春からめでたくその学校に通うようになったのです。ちなみに一人だけ、以前の私のように落ちた友達がいました。彼女は私が落ちた私立に通うことになりました。

 

私は本命の高校に受かるために、私立の試験に落ちたのだなと思いました。私の性格的に、私立がすんなり受かっていたら、調子に乗って大して勉強しなかったはずだからです。

失敗したことに意味を感じた瞬間でした。

 

さらに落ちまくった大学受験のはなし

就職する友達もいるなか、私は大学進学を希望しました。

大学受験も、ちょっとレベルは高くても行きたいと思った学校は何度も受けましたね。本命だと思った学校の試験に至っては、前期後期すべて受けました。

 

結果、全部落ちました。

 

滑り止めもくそもないです。受けた学校、試験、すべて落ちましたから。笑

「またかよ!どこも行くとこがない!」ってなって、全く視野に入れていなかった学校に、ぎりぎり滑り込む形で受験したんです。当日、ちょっとここではかけないような前代未聞の不備もあったのですが・・・、

 

なんと、受かりました。

 

進学はやめて就職も視野に入れかけていたのですが、特例で合格を認めてもらうことができたのです。まるで最初からこの学校に通うことが確定していたみたいでした。

 

 

他の試験に落ちた原因は、倍率が高さや問題の良し悪し、それか私がただのばかだったのかもしれません。

でもね、そんなことどうでもいいんです。

他が落ちまくったおかげでこの大学に通えるようになり、かけがえの無いものをたくさん得ることができたんです。(特に、過去最高に気の合う友人に出会えたのはでかい)

 

期待以上の結果を得られて、高校受験のときに感じた気持ちが強くなりました。

やっぱり全部意味があって、結局自分に都合のいい結果になると確信したのです。

 

結果論とかどうでもいい

いい結果になったから、受験に落ちたのがよかったという話をしました。

「それって理由を後付しているだけじゃない?」といわれそうですが、

はい、その通りです。笑

そもそも結果論であろうがなかろうが、関係ないんですよ。

結局自分のいいようになると考えたら、困難なんかあってないようなものなんですね。困難に直面したときに落ち込むことはまずなくなりました。そもそも困難を困難と認識することすらないですね。

すべて意味のあることだから、どうせ後で全部自分の都合のいいようになる』って本気で思うようになったんです。

 

すると面白いくらい、本当に全部都合よくなるんですよね。笑

 

壁にぶち当たった瞬間、すぐに意味を見出さなくてもいいんです。

『あー、またなんか意味あるんだろうなこれ』って、気楽に構えていたらいいんですよ。

あとから『おし!結果オーライ!このためだったのかー』ってなりますから。

 

思い通りの人生を歩む

今回は、『世の中はいつだって中立に存在していて、自分の受け取り方次第で良くも悪くもなる。だったら全部都合よく解釈して、意味があるものとして受け止めれば、本当にそうなるよ』って話をしました。

 

私の人生は今のところ、なんだかんだでかなり思い通りです。

これからは『お金』に関してもっともっと思い通りにしたいと思っています。常識をぶち壊してリミッターをはずすことができれば、きっと簡単なんですよね。。

※またこの話に関しては、別の記事でお話しようと思います。

 

『人生は大体思い通りになることを前提とする』と、困難に悩まなくなり、それだけで毎日40~50%くらいは生きやすくなるのではないでしょうか?

逐一感じていたイライラももやもやも、「なにをそんなに悩んでいたんだろう?」と思うになります。

 

信じる信じないの話じゃなくて、もう、とりあえず前提として考えるのです。

前提にするだけで生きやすくなるなら、やってみてもリスクなんかないですよね?

 

 

どうせ同じ時間過ごすなら、思い通りの人生を生きようぜ。