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何でも鵜呑みにしていないか?『自発的に実感』して生きた心地のある毎日をつくる

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どうも、がわです。

 

「友人」って、大切ですよね。

普段、その大切さに「実感」は全然なくて、「私は本当に大切に思っているのだろうか?」と疑問に思うことがあります。

 

みんな、それぞれの日常を生きています。毎日色んなことを考えます。考えていることは1年といわず、1ヶ月前と今とでさえ、全然違いますよね。その中でふと、自分のことを思い出してくれる。連絡をくれて、自分に会おうとしてくれる人がいる。

 

「それって、とてもすごいことだ。」

 

・・・と、言葉にしてみれば間違いないのですが、「心の底からどこまで思えてる?」と考えたら、正直、わかりません。

冒頭で「友人って大切ですよね」なんて言っておきながら、「『友人は大切』って建前だけで、そんなに本気で思ってないんじゃないの?」なんて思う自分がいます。(大切にするべきなはずだから大切にしている、みたいな。)

 

世の中にはみんなが共通して思う『良いこと』がいっぱいあります。でもみんなそれを発するとき、どこまで本気で思って言ってるんでしょうか。

 

実感しないと本気で気付けない

カナダで出会った友人たちと飲みに行ったときのことです。

私は4月末に日本に帰るので、一人の友人が「ヘイ、がわ!キミのカナダでの思い出で、お気に入りは何?」と聞いてきたのです。

(※関連記事:【ワーホリ】カナダ(バンクーバー)リアル感想文

私はランキング形式にベスト3から発表していきました。3位は、旅行先で食べた『ステーキ』です。(口の中でとろけるのを本当に感じで、超幸せでした。)2位は、語学学校で出会った友人達と行った『スノボ旅行』です。(修学旅行みたいでとにかく楽しかった。)

そして第1位ですが、

大げさに手を広げ、私はみんなに向けて言いました。

 

 

「ともだち」ーっ!!

 

 

「あはは~!」「いえーい!」

 

ぱち、ぱちと手を叩く。軽くみんなで笑い合う、まあ至って普通の光景です。

彼らとはカナダで出会い、出身国もバラバラです。付き合いは、決して長いものではありません。彼らとよく遊ぶ自分を客観的に見て「仲良しだなー」とは思います。

帰国したら二度と会えないかもしれませんが、別に絶望するほどの寂しさを感じているわけでもありません。会えなかったら、それはそれです。

出会いは一期一会っていいますよね。重要なのは大体「出会い」だろうと、みんな共通の認識だろうと思い、一位を友達にしました。案の定、「そういうこと」を言うとみんな悪い気はしません。

 

たとえ心の底からそう思えてなくても、人はテンプレートな言葉を簡単に言うことができます。

 

なぜなら『良いこと』を言ってれば誰も責めませんし、誰でも『良い人』になれますからね。(口ではほんと、何とでも言える)

「出会い・友人は大切だよ!」ってみんな口を揃えていうけれど、聞きすぎて飽きたというかなんといいますか。何でもかんでも『良いこと』とされる常識に当てはめなくてもいいんじゃないかなって、思うんです。(実感がなければ、ただの建前でしかないじゃないですか)

 

こんなこというと『良いこと』を否定しているみたいで「がわはドライなヤツだ」と思われるかもしれません。でも正直な感想なのでしょうがないです。『良いこと』は定型文だから、何も考えなくったって誰でもいえるんですよね。たとえその言葉に実感を伴っていなくとも。

 

そして、一位は友達だと声を上げた私はさらに言いました。(私の建前は続いています)

 

『私は本当に自分が信じられないよ!

だって、私の英語めっちゃ下手くそなのに、こんなに友達ができて、たくさん遊んで・・・、』(って、あれ?)

 

(なんか、目が熱い)

 

  

自分でも直前までわからないほど無意識に気持ちが溢れてきて、

気付いたら、泣いてました。笑

 

 

「なんだお前っ?!」

 

って、ツッコミが飛んできそうですね。笑

むしろ飛ばしてくれないと苦しいです。つい数行前まで「『出会いや友人は大切』って無理に思わなくてもよくね?」みたいなことかっこつけて言ってたくせに、泣くっていう。(はずかしい)

 

でもね、私が言いたかったのはここなんですよ。

たらたら書いて長くなりましたが、私が伝えたいのは『自分の思いなんて、実感しないと本気でわかんない』ってことなんです。

 

「言われなくてもそれぐらい知ってるわー」って、思うじゃないですか?

じゃあその言葉を、どれくらい「実感」してますか?『良いこと』と同じようによく聞く話だからって、わかった気になっていませんか?

胸のうちで何かが、ぐぐーっと圧迫されるような、肺の奥底から空気が低く漏れるような、そんな言葉の重さをどれくらい感じられているでしょうか。

 

あなたの言葉は、心の底からあなたが思って言ってることですか?

 

実感のない言葉は流れていく

生きるのに慣れたら、当たり前なことばっかりな毎日です。イチから作らなくても食べたいものが食べれます。ネットで誰とでも簡単に繋がれます。

友人がいるのも当たり前と思っています。頭では「友人はかけがえのないもの!」と思っていても、実感のないの言葉は、世の中から登録された定型文なのでサラッとしています。その言葉は可もなく不可もなく口から発射され、そのまま風に乗って飛ばされていくでしょう。

 

実感」って、外的要因から感じることが多いんです。

誰かに何かをされたとき、何かを手に入れたとき、何かを失ったとき・・・。良し悪しは関係ありません。何かが起こったときに感じることが多いんです。

逆に「実感」を感じれる“何か”が起こらなければずっと自分が本当に思っていることに気付けないままなのです。世の中の常識を、そういうもんだと疑うことなく鵜呑みにし、あたかも自分の意見であるかのように思い続けるんですよ。

 

関連記事【人生の決断を後悔しないたった1つのポイント】にもかきましたが、やらなかったことへの後悔は死ぬ直前まであなたの心に残るのです。

どんなに『良いこと』を知っていても、理解していなければ行動できません。「実感」がないと『良いこと』は流れていくんです。何かが起こるまで、気付けないんです。

 

たとえば、『自分の殻を破る』って、苦しい思いをしてからじゃないとダメなんですか?

親がいなくなってから『親孝行は大切』って、遅くないですか?

 

『自分から「実感」することができたら、何かが起こる前にもっとできることがあるかもしれない』

そんな風に、あなたは考えたことはありますか?

 

自発的に「実感」する手段を知る

私はみんなの前で『友人は大切』だと、建前のつもりで語りました。すると心の底で感じていた「彼ら」の大切さが無意識にあふれ出てきて、泣きました。「彼らのことをこんなに思っていたんだ」って、泣いた本人が一番本気でビックリしていました。

 

この日私は、『外的要因で感じることの多い「実感」は、「誰かに伝える」という手段をとれば自発的に感じることができる』ということを知りました。

 

そういえば、(私はまだ未婚なので)自分の結婚式で両親に手紙をよむところを想像して一人で泣いたこともあります。(本当にベッドで一人泣きました。笑)

『親の大切さ』や『親への思い』を、想像の中でも「伝える」ことで、涙が出るほど実感することができました。(婚約もないのに気が早い)(想像力豊かだと言ってー!)

 

「実感」って何かが起きるのを待ってなくても、たとえ頭の中だとしても大切にしたい思いを伝えられたら、自発的に感じることができたんですよね。

世の中に溢れる『良いこと』をきいたって、いつも「そうだよねー」って流れちゃうんです。何かが起こって、特定の状況になってはじめて「そうなんだよ。」と言葉の重みを理解できるんです。

 

今、私が『自発的に実感するのは大切だよ!』とあなたに伝えたとしても、あなたが「あ、ほんとだ」って実感してくれるかどうかもあなた次第なんですよね。

それでも私はここまで読んでくれたあなたに、ちょっとでも考えてみてほしいです。

海外で出会った友人の大切さを「実感」できた私は、その日から彼らのことをちゃんと大切にしようって心の底から思えたんです。(これは建前ではありません)

だからあなたに大切な人がいるとしたら、大切にしていることを自発的に伝えてみてほしいです。「わざわざ言わなくても大切にしてるし」という人でも、伝えるか伝えないかでは気持ちの重みが天と地ほどの差があります

別に今日が何でもない日だっていいんです。(恥ずかしければ私のようにリアルに妄想想像でもいいんです)とにかくこの記事を読んだことをキッカケに、伝えてください。

普段あなたが『良い』と思っていることを、ぜひ「実感」してほしいんです。

 

感動する毎日を自分でつくる

「実感」って、心が動いてるんですよね。だから「感動」と同義なんじゃないかなって思うんです。サラッと流れるような言葉の中で生きていたって、『その日がその日である意義』みたいなものがないんです。明日でもいい、来年でもいい、そうやって、『いつでもいい』毎日ばっかりになるって、つまらないと思いませんか?

だから受身で待ってる毎日じゃなく自発的に「実感」、つまり「感動」しようとすればするほど、生きた心地のある日々を送れると思うんですよ。

 

世の中の『良いこと』は、思いを伝えると実感できることがわかりました。

私のように自分がどこまで本気かわかっていなくても、最初は建前のつもりで言ったとしても、「伝える」ことで本当の気持ちに気づくことができました。しかも「伝える」って、相手もあなたの思いを「実感」させることができるので良いことしかないんですよ。

 

人って、頭で考えてるだけじゃ何にも理解していないんですね。

言葉に出すと、自分の思いを自発的に実感できるんです。待ってるだけの毎日じゃなく、感動する毎日を自分でつくっていけるんですよ。

事実、私は彼らと飲みに行ったあの日が忘れられません。幾度となく遊びましたが、あの日ほど彼らをちゃんと思えた日はありません。実感した瞬間はたった数分の出来事ですが、それだけでも今の私は、心が満たされています。

 

この記事をかくのはすごく時間がかかりました。どうやったら伝えられるだろうって、悩みまくりました。でも絶対に、一人でも多くの人に伝えたいと思いました。

だって、『友人は素晴らしい』とか『親は大事』とか、みんな同じように『良いこと』はいうけれど、誰も「それらを実感することが大切」とは教えてくれませんでした。

「実感」を自発的に感じにいく』という考え方があることも知りませんでした。

 

それを知っているだけで、なんでもないと思っている日でも、特別な日になるんです。

生きやすい毎日って、「実感」するだけで自分でつくっていけるんですよ。

 

長々とここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

あなたの今日が、感動ある一日になりますように。。