どうも、がわです。
先日、橋下徹さんが北朝鮮問題について言及されている記事を読みました。
私の興味は、北朝鮮問題もそこそこ、一番は「あれだけ発信力のある人の書く文章がいったいどういうものなのか?」というところにありました。(テレビではよくお見かけしましたが橋本さんの文章を読んだことはなかったので)
読み終えて感じたことが2つあります。
1つは、橋下さんの文章が政治的話題に苦手意識を持っている中学生でも理解できそうなぐらい非常にわかりやすく、いろんな意味で「なるほど」と思えたこと。
もう1つは、橋下さんが持論を導き出すときの考え方が「人生の重大な決断をするときにも有効なんじゃね?」と思ったことです。
この記事では、『何か重大な問題に直面したときにどうやって判断するべきか?』ということを、橋下徹さんの考え方を参考にお話しようと思います。
ゴールがないと当然辿り着くことはできない
『重大な問題に対してどう判断すべきか?』の前に、そもそもやるべきことが1つあります。
それは、ゴールを設定することです。
今、北朝鮮問題について論じている専門家の議論・意見を聞いていると、ゴールに向けた道筋が全くない中、つまり「レールくじ」がない中、手当たり次第に分岐点をバラバラに置いて、それぞれの分岐点について左右どちらに進むのかの判断をしているようなもの。
分岐点と分岐点がつながっていないので、個別に左右の判断を下してもゴールにも辿り着けない。こんな状況だね。
ゴールが設定されていないと、いつまでたってもふらふらさまよい続けるのは当然ですよね。
ルーレットさえ回せばゴールに辿り着ける人生ゲームならいいでしょう。
でも私たちの人生はそんな単純なものではないと思います。
目先の問題を10個片付けたところで、果たして本当に自分が行きたい方向へ進んでいるのでしょうか?
私は、行動を起こすこと自体は確実な一歩に間違いないと思っています。
でももし自分が前ではなく横に進んでいるとしたら、ゴールとはずっと平行線のままになっちゃいますよね。しかももしゴールが前にあることすら認識していなければ、気付かず後ろに一歩進んでしまうことだってあるでしょう。
たとえば、ただなんとなくいい会社に就職したいとか、なんとなく給与は高い方がいいとか、そういった明確なゴールなしで理想を手に入れるのはきっと難しいですよね。
給与が高いところに勤めるにはいい大学を出ていた方が良さそうだからとりあえず受験勉強を頑張る。
頑張ったけど本命はだめで、滑り止めの大学に入学するも単位のためだけになんとなく出席する。
就職活動になって、自分の学歴でも入れそうな、配られたカードの中からなんとなく良さそうなところを選んで就職する。
明確なゴールがない人は、こういう感じになるのではないでしょうか?
(まあこれはほぼ過去の私ですが。笑)
なんだかスッキリしなくて、もっと全力疾走したいのに走りきれなくて、そんなもやもやした中を生きる。ゴールがないってそういうことだと思います。
ゴールは立ち止まってでも設定してほしいです。
みんな勉強でも仕事でも何でも、たとえ小さくったって何かしらの行動を起こしているんだから、その一歩の価値を高めて欲しいと思います。
ゴールから遠のいた一歩にも何か価値はあると思いますが、ゴールに近づいた一歩の方が誰にとっても大きな価値があるのではないでしょうか。
※ゴール設定に役立つ関連記事
ちゃんと進めているかわからない。
進みたくても、先が見えなくて動けない。
どうしたらいいのかわからないとき、一体何を基準に判断すればいい?
ゴールを設定した後だからこそ冒頭の『どうやって判断するべきか?』に焦点をあてることができます。
そしてその問いの答えを握っているのがタイトルにある『究極の判断方法』です。
目先の問題に捉われることなく、確実にゴールに向かっていけるその判断方法とは?
それこそが今回、私が橋下さんから学んだ『核心的問題点を明確にすること』でした。
究極の判断方法は核心的問題点を明確にすること
今回の北朝鮮問題においてまず判断を下さなければならない分岐点、つまり核心的問題点は何か。それは「世界秩序の安定のために日本がミサイル攻撃を受けることを甘受できるかどうか」という問いである。ここのスタンスを決めない限り、物知り知識を披瀝するか、場当たり的な意見しか言えなくなる。
橋下さんの記事では当然北朝鮮問題の核心的問題点を挙げられていますが、 私がお伝えしたいのは「この考え方を自分の人生に当てはめてみては?」ということです。
どういうことか?
究極の判断方法は核心的問題点を明確にすることです。
そして核心的問題点を明確にするということは、目の前の問題を解決することと設定したゴールに向かって進むことがリンクしているかどうかをハッキリさせることだと思います。
この記事から見受けられるゴールはおそらく「世界秩序の安定」。
核心的問題点は「今日本がミサイル攻撃を甘受できるかどうか」で、
目先の問題は「北朝鮮の核保有を認めるかどうか」だと思うんです。
たとえば、私の人生にあてはめてみます。
私のゴールは「好きだけを集めて自由に生きること」です。
※詳しくは割愛しますが、このブログのタイトル「らいくりーだむ」もそれを表していて、私はこのゴールに色んな思いを込めて生きています。
※よかったらプロフィールをどうぞ。笑
そして私が着目すべき核心的問題点は
「この問題を解決することと私が自由に生きることは関係があるかどうか」
だと思っています。
目先の問題はたくさんありますよね。
日常的な問題だと「部屋の片付けをするかどうか」「あまり乗り気でない飲み会に行くかどうか」とか。
また「今の会社に勤め続けるべきかどうか」だったり「『~すべきだ』と思ったことは本当にすべきかどうか」だったりと、問題は様々です。
毎日毎日生きていると、意識無意識関係なく、頭の中では小さな「どうする?」がたくさんでてきます。それらをゴールに向けた一歩にするために、核心的問題点を明確にすることが必要になってくるんですね。
では、核心的問題点が明確になるとどうなるのか?
揺ぎない自分のスタンスが決まります。
それは、全ての問題においてゴールに向けた判断ができるということだと考えています。
スタンスが全ての判断の軸になる
僕の判断を先に言ってしまうと、「世界秩序の安定のために今日本がミサイル攻撃を受けることは甘受できない」というのが僕のスタンス。ゆえにこのスタンスが全ての判断の軸になってくるんだ。だから究極的には北朝鮮の核保有を認める結論にもなる。弱腰だと言われようがこれが持論だ。口だけで威勢のイイことは言えない。
その代わり、今話題の日本の敵基地攻撃能力を高め、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」としている非核三原則の「持ち込ませず」をとりあえず削除。その上でドイツ・イタリアでもやっているアメリカとの核シェアみたいなものを検討する。集団的自衛権についてもさらなるレベルアップを考える。
つまり北朝鮮の今の状況で北朝鮮を叩くことは避け、日本の自衛力を高める、という結論になってくる。これは北朝鮮が核保有することを甘受することも含む。
このような持論になるのは「今の段階で日本がミサイル攻撃を受けることは絶対に避けるべきだ」という核心的問題点へのスタンスを固めているため。だから、北朝鮮に核保有を認めるのか! と問われても、いくらでもきちんと反論できる。逆にそういう奴らには、じゃあ日本がミサイル攻撃を受けることを甘受するんだな? と核心的問題点を突き付けることができる。
橋下さんの持論の賛否は人それぞれだと思います。
私が惹かれたのは、橋下さんの揺ぎないスタンスと、柔軟かつ具体的対処策の提案です。
「逃げるのは情けない」
「核は持っちゃいけない」
「三原則は決まってるから変えちゃだめ」
こういったことは、目先の問題に分類されると思うんです。
核心的問題点を考えたら、それらはきっとどうでもいいことなんですよね。(無意味ではなくゴールに対して重要度が低いという感じでしょうか)
固定概念をものともせず、柔軟かつ具体的な対処案を出して前に進む。
それができるのは橋下さんのスタンスが揺ぎないものだからこそだと思います。
たとえば「幸せな家庭を築くこと」をゴールにしているとしたら、核心的問題点は「家族全員が幸せかどうか」だと思うんです。
だから家族のうちの1人でも「俺が頑張ればいい」「私がやらなくちゃ」みたいに、誰かが辛い思いを受け入れ続けている状況は、ちょっと違うんじゃないかなって思います。
世の中にはお金・人間関係・仕事と様々な問題で溢れていますよね。
それらを解決していかなきゃいけないときに「解決できるかどうか」よりも「これをして家族全員が幸せになるかどうか」って考えることで新たに見えてくる選択肢があると思うんです。
『自分も含めて、家族全員で幸せになる。』
そういうスタンスで生きた方がよりゴールに近づけるのではないでしょうか。
究極の判断を下す
まあ、戦後の日本はロシア、中国という核保有国に囲まれながらこれまでやってきた。そうであれば今日本にミサイルが撃ち込まれるリスクを避けることができるなら、北朝鮮が核保有しても仕方がないという究極の判断だ。究極の判断こそが政治判断。
アメリカは近隣を核保有国に囲まれて過ごしてきたわけじゃないし、アメリカ本土が核戦争に巻き込まれる危険というのもキューバ危機を除いて感じたことはないだろう。
この点では、日本の方がはるかに逞しいね。中国やロシアも核を持っている。それなら北朝鮮が持つことくらい、という腹の括り方を究極的にすることができる。その代わり、日本の防衛力を格段に高める。今、日本にミサイルが撃ち込まれるより、このような日本の進み方の方がよっぽどましだというのが僕の持論。核心的問題点で自分のスタンスを明確にしたからこそ、およそ日本の政治家では主張できない「北朝鮮の核保有容認」という持論を堂々と主張できるし、それに対する批判にもいくらでも答える自信がある。「負けそうなケンカでは情けなくてもまず逃げる。そして次に備えて徹底的に鍛え、負けないようにする」。究極の政治判断においては最後は自分の人生観が左右するんだよね。
この記事において橋本さんの究極の判断は「北朝鮮の核保有容認」でした。
このような持論になるのは「今の段階で日本がミサイル攻撃を受けることは絶対に避けるべきだ」という核心的問題点へのスタンスを固めているため。
スタンスが決まれば、判断の軸が決まる。
だからゴールに向けて核心的問題点に対してどのように対処するべきかが見えてくるんですね。
今すぐ解決できないことはたくさんあります。
それは負けそうなケンカをふっかけられていることかもしれない。家族のために辛い思いをしていることかもしれないし、人生を謳歌したくてもがいていることかもしれない。
どういった状況であれ、ゴールに向けて一歩踏みだすための究極の判断方法は『核心的問題点を明確にすること』に変わりはないと思います。
人生においても同じこと
グーグルマップって、ご存知ですよね。
目的地を設定したら赤いちょぼがでてきて、現在地とゴールまでの道筋を教えてくれるあの便利なツールです。徒歩、車、電車、飛行機、船など、手段もその組み合わせも、道のりですら何通りもありますよね。
ゴール到達までの道筋はひとつではないんです。
方法論は、無数に存在しているんですよ。
だから、どんなルートを通ってもゴールに向かって進めるように「核心的問題点を明確にすること」が必要になってくると思います。
よく『ゴールから逆算しろ』というのがありますよね。
短期的、もしくは小さな目標では確かに有効だと実感しています。
しかし私にとって、長期で大きな目標の逆算は難しさを感じました。
方法論が無数に存在するのに、ゴール一歩手前はどうなってる?って、私には正直わかりません。(私の思考力の問題もあると思いますが笑)
でも、なにか行動を起こすときに「これをすることは私が自由に生きることと関係しているかどうか?」という問いなら応えられます。
逆算するしないも、無数に存在するゴールに向かうための方法論の1つにすぎません。
自分のスタンスを守ってゴールさえ見失わなければ自分の目指ざす場所に辿り着けるのではないでしょうか。
まとめ
人生だろうが政治問題だろうが、ゴールがなければふらふらするだけです。
まずは自分にとってのゴールを設定しましょう。
何か重大な問題に直面しても、究極の判断方法『核心的問題点を明確にすること』で対処できますよね。
『核心的問題点を明確にすること』は、『目の前の問題を解決することと設定したゴールに向かって進むことがリンクしているかどうかをハッキリさせること』です。
ゴールが決まれば、自分のスタンスが固まります。
スタンスが固まっていれば、核心的問題点を明確にすることができ、どんな方法論をとったとしてもゴールに向かっていけると思っています。
どうせ一歩歩くなら、ちゃんとゴールに向かった一歩にしようぜってお話でした。
それでは最後に、私の好きな言葉をお伝えして終わりたいと思います。
一番大切なことは、一番大切なことを、一番大切にすることである。
「7つの習慣」著 スティーブン・コヴィー
ここまで読んでくださりありがとうございました。