どうも、がわです。
私はよく、「がわはいつも自信があってすごいね」「がわってたくましいよね」「がわがそういうとなんか大丈夫な気がしてきた」などと言われます。
本人的にはそんな強いタイプではないと思っているのですが、私の周りにいる人たちは、私のことを良いように思ってくれているみたいですごく嬉しいです。
そんな風にいわれてふと、自分でもかわいそうなぐらいへなちょこだった時代(前の会社の入社当初)を思い出しました。
昔の私がどれぐらいへなちょこかというと、初めてでもない電話対応に緊張しすぎて泣いてしまい上司にもお客さんにも呆れられるほど頼りなさの塊のようなへなちょこでした。
しかしそんなへなちょこだった私は、運営を任される立場になり、最前線で何十人ものスタッフをひっぱる管理者になることができました。
もしあなたが『へなちょこな自分を変えたい!』と思うなら、この記事にかいてあることを試してみてほしいです。すごく簡単なので。
なぜなら私がへなちょこ脱出を果たせた理由は、たった一つだけだからです。
へなちょこだったころの私
当時の私は、いまの倍以上の心拍数で生きていました。笑
自信のないせっかち
私は、入社当初から他の同期よりも落ち着きがなく、いつもそわそわしていました。
自分に自信もなかったので喋るときはやたらと早口、移動は小走り、『何をすべき?どうするべき?』と、常に慌てていましたね。
スピードを要求される職場だったこともあり、余計にせっかちになるのに、やってることに自信もなくて、とても苦しかったのを覚えています。
まるで背中にナイフでも突きつけられているような緊張感をいつも感じでいました。
やたら負けず嫌いで無駄に高いプライドが失敗を許さない
せっかち+自信がないだけでも大変なのに、昔からむちゃくちゃ負けず嫌いなんですよね。おまけに無駄にプライドも高い。もう、すごく面倒くさいやつです。笑
同時入社した人数が非常に多かったことで、負けず嫌いがより一層顔をだします。
他の同期よりひとつでも多く仕事を覚えたくて、とにかく必死でしたね。
仕事のできる自分でありたい気持ちが強すぎて『失敗する自分は許せない』と、かなりストイックな考え方をしていました。
新人として意気込みはよかったのですが、やはりミスや失敗はつきものです。
頭ではわかっていてもミスをするのが怖かったし、失敗してしまう自分も嫌でした。
負けたくない気持ちとプライドが相まって、できない自分を受け入れたくなかったのです。
焦り×空振り=失態
失態を犯したのは、ある忙しい日のことです。誰も手が離せないくらい慌しいときに電話が鳴り響きました。
一番近くにいたのが私で、心臓を体から飛びでてきそうなぐらいバクバクさせながら、とにかく電話に駆け寄りました。このとき、電話対応をするのはまだ数回目でした。
受話器の前で素早くメモを広げます。緊張で、ペンを持った手が震えます。
意を決して出た電話は、お客様からのちょっとしたクレームでした。
『(やばい、クレームだ・・・!)』
クレーム電話を受けたのはこれが初めてで、私は一気にパニックに陥ります。
「(ああとにかく謝らなきゃ、でもなんで怒ってるの?なんて返すべき?あーいやだ、やっぱ怖い、変なことはいっちゃいけない、もっと怒らせたらどうしよう、だめだ、どうしたらいいかわからない・・・!)」
もう頭の中、ぐっちゃぐちゃですよ。
自分でも何言ってるかちんぷんかんぷんになりましたね。
すると怒っていたお客様も呆れて「とりあえず話せる上司をよんできなさい」と、ため息混じりに言いました。
半泣きで顔が真っ赤になりながら上司を呼びにいくと「何事だ!?」と盛大に慌てさせ、お客様にはクレームよりも教育を心配させる始末。
焦って、とにかく頑張って、でも怖くてできなくて、情けなくて悔しくて、上司にもお客様にも迷惑をかけている自分が許せなくて・・・、
気付いたときには泣いていました。
心の底から変わりたいと思った
つねに落ち着きがないのは焦っていたからです。素早く仕事をこなせる人でありたくて、同期にも負けたくなくて、周りからの評価も気になって、いっぱいいっぱいでした。
どんなに頑張っても変わらないへなちょこな自分がすごく嫌でした。
「もっと余裕のある人になりたい。」
もう、へなちょこな自分はしょうがない。
自信なんてなくてもいいからせめて気持ちに余裕をもちたい、と思ったんです。
でも余裕がない自分の頭では、どうやったら余裕が持てるのかうまくイメージできませんでした。なのでせめて、異常なせっかちやプライドの高さ、強すぎる負けず嫌いを緩和しようと試みました。
負けたくないけど、同期の良さは素直に賞賛するべきだろう。
素早いけどきっちり仕事ができる人にならないと。
周りを気にするのは自分の評価ではなく『自分にできることがないか?』に焦点をあてるべき。
こういったことを、毎日出勤するたびに心がけるようになりました。
きっかけは同僚の働き方
ところが「変わろう!」と意識してみるものの、テキパキ動く上司を見るほどやっぱり焦ってしまうんですよね。
そんなとき、ある同僚(D君)の働き方にびっくりしました。
彼はね・・・、ものすごくスローだったんです。
電話でお客様からの問い合わせに対応していたのですが、まるで気まぐれに散歩するかのようにのんびり調べているんですよ。もちろん折り返しするつもりで一旦切ってはいましたが・・・
「いやいやD君!お客様を待たせすぎでしょ!もっと急げよ!」
っと、声が出そうになりました。
(ちなみにD君のDは【どこまでも 動じない 同期】=3DのDです。)
でもそのときふと、思いました。
「(余裕があるって、こういうこと・・・?)」
D君は上司と比べて仕事ができるわけではありませんでした。お客様に対して、もうちょっと待たせない意識を持ち合わせたほうがいいのも事実です。でもD君のようなマイペースな部分が私には足りなくて、なおかつ必要な要素だとも思いました。
それまで私の頭の中は『○○すべき!』『○○すべきでない!』という強い使命感でいっぱいでした。
そんな私に足りないのは『余裕』。
だけど余裕のある人は変に使命感に振り回されたりしないのでは?と思ったのです。
それは、そもそも私の考え方自体を変える必要があることを意味していました。
もっと自分本位になろう
そこで私は、『~すべき』『~でなければならない』と考えるのをやめました。
マイペースなD君のように気楽な考え方に変えてみたんです。
お客様を待たせるべきではない! ⇒ 出来る範囲で早くしよう
失敗はあってはならない! ⇒ ひとつずつ確実にしよう
素早く動くべきだ! ⇒ 素早く行動しよう
ちょっと変えただけで随分と印象が変わりますよね。
『義務には変わりないけれど、もっと自分本位に考えればいいんだ。』
『もっと自分勝手になっても大丈夫なんだ。』
『自分勝手になる』
強制的だったマインドが、ちゃんと自分の意志になった瞬間でした。
自分勝手になった結果
せっかち、自信なし、負けず嫌い、プライド・・・。それらを押しのけるほど強い感情が顔をだしました。
それは、好奇心です。
元々持っていたのにいつの間にか押さえつけられていた私の好奇心は、いっきに爆発しました。そして好奇心の塊になった私が自分勝手になることは、とんでもない効果を発揮したのです。
『同期に負けないようにしよう』に好奇心が加わって、『誰よりも色んな業務ができるようになろう!』に変わりました。
すると次々と仕事を覚え、雑用から重い業務までかなり広範囲の仕事を把握できるようになりました。
『迷惑かけないようにしよう』から、人のやってることが気になるので、だったらいっそ『フォローできる人になろう!』と意気込みました。
最終的にはフォローしながらでも自分の仕事も終わらすほど効率よく働けるようになりました。
根本的にせっかちなのは変わらず、負けず嫌いも健在です。
しかし自分勝手に余裕を持つと、いつしか変なプライドはなくっていました。
気付けば人の上に立つ立場になっていたのです。
数名の上司の中から一緒に働きたい人と組める”パートナー制度”を導入したときのことです。何十人といる部下の過半数から、パートナー上司になってほしいと言ってもらえるほど信頼されるようにもなりました。
また、電話で泣いてたへなちょこの私が、クレームを言うお客様を笑顔にすることだって出来きたのです。
「なんだ、自分勝手でもいいんだ」
私が好きなように振舞うと、結果として自分もみんなも幸せにできるんだと実感しました。
自分勝手に生きる現在の私
私がへなちょこから脱出できたたった一つの理由は、自分勝手になることでした。
みんなそれぞれの性格があります。
性格を変えるのは否定しませんが、変えないほうが明らかに楽です。
むしろ今の自分になったのはしょうがないから諦めた方が話は早いです。
私はせっかちも負けず嫌いも残したまま自分勝手になったから、余裕を持つことができました。すると自動的に、変なプライドやあがり症や焦る感情など、いらないものがなくなったのです。(D君ありがとう。)
生きていると人に迷惑をかけてしまうことはあります。
その事実に自分勝手は関係ありません。
どうせ迷惑をかけると思うなら、その分勝手に助けようと考えればいいんですよ。
へなちょこから脱出するのに、自信なんていりません。
ただ自分勝手に、自分が思うように生きればいいだけなんです。ただ「~すべき」を捨てればいいんですよ。強制力のない考え方からは余裕がうまれ、自分も、そして自分の周りにいる人も幸せにすることができるんですから。
自分の性格を否定する必要なんて、どこにもないんですよ。
だからへなちょこでも大丈夫。もっと自分勝手に生きよう。