どうも、フリークリエイターがわです。(キリッ
今回は悩める子羊たちに、ウサギ(がわ)が自由は案外あっさり手に入るぜって話をしようと思います。
自由の定義は人それぞれかも知れませんが、私がほしいと思った自由は『好きなことを好きな時に好きなだけ好きなようにできる状態』です。
それだけを求めて、私は既存の日常をあっさりやめました。
会社と大阪にアディオス
自由になりたすぎて爆発した私はまず、会社をやめました。
※詳細は⇒がわのプロフィール
なぜなら日常で一番時間を使っていたのが仕事だったからです。会社をやめると、仕事に費やしていた時間がいかに多かったのかを実感しました。
しかし、時間的に自由になってもなんだか落ち着きません。『働いていなきゃいけない』や『正社員に戻らないといけない』といった、見えないプレッシャーを感じたからです。
私は地元の大阪が大好きです。
旅行で国内外問わず結構あちこち行くのですが、地元に戻ってくると『やっぱ大阪ええなー』とすごくニタニタ安心します。
でも大阪にいると、私の中のあらゆる固定概念が私を自由にしてくれませんでした。周りのみんな働いていて、それが当たり前で、周りと同じことをしていない私に罪悪感を感じさせるのです。
「こんな気持ちになるようじゃ、やりたいことも満足にできない。」
地元は大好きだけど、地元で作り上げた固定概念を壊すために、一旦離れることを決意しました。
彼氏彼女が「お互いのために、ちょっと距離を置こう・・・」と再開を約束して離れる感じですね。(※人間関係で距離を置く場合は8割別れる準備だという自論を持っていますが私は大阪と別れる気は一ミリもありません。)
とにかく私は、会社をやめて手に入れた自由な時間を、自分をもっと自由にするために使おうと決めたのです。だから生活環境も人間関係も、一旦全てリセットしました。
「どうせなら海外に行こう。」
今までの日常どころか、常識まで違う場所にいきたい。
そうして私は自由を求めて、大阪から新しい土地へと飛び立ったのでした。
選んだのはカナダのバンクーバー
私がバンクーバーを選んだ理由は2つあります。
1つは、以前に旅行で来たことがあったから。
もう1つは、当時バンクーバーが世界で最も住みやすい都市ランキングで3位だったからです。(2017年では5位に下がっちゃってますね笑)(でも住み心地は良かったのは事実です)
渡航当初、私は英語が全くできませんでした。(ぶっちゃけ今もですが)
中学のころから英語は苦手です。カナダに来る前から自習はしていましたが、全く意味をなさなかったですね。覚えたフレーズ全部忘れました。(つらい)
でもまあ、最初こそすごく焦りましたが、将来英語を使って何かをしたいわけではなかったので途中から適当に楽しんでましたね。一応語学学校に通ったので「旅行では困らないかな?」程度まで成長できました。
ペラペラじゃなくても生活できるし、とても親しい友人を何人もつくることができたので、英語力がなくても大して困ることはありませんでした。
時間がゆったり流れる
「スピードが命」みたいな性質を持っている私は、カナダの人、もの、すべての時間感覚がゆっくりすぎて、最初はむちゃくちゃもどかしかったです。(※がわはせっかちです)
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でも何ヶ月も滞在していくうちに、結果として、ゆったりと流れる時間感覚は私に大きな心の余裕を与えました。
私はカナダで一切仕事をしていません。
仕事は好きなので海外でも働いてみたい願望はありましたが、周りを見ているとやってることは根本的に日本と大して変わらないと思ったからです。
私の英語力うんぬんではなく、海外にきてまでアルバイトする理由が私にはありませんでした。
もちろん、やってみれば得られるものはあるだろうし、せっかく海外にいるのだから働いてみればいいのに、という意見もありました。
でもそれって、本当にやりたいこと?と考えてみたとき、『周りがやってるから私もやっておこう』とか『せっかくの機会だからやらないともったいない』みたいな固定観念が顔を出していただけだったのです。
日本にいたときと変わらなくなる。
また何かに縛られてるようじゃあ、意味がない。
時間がゆったり流れるから立ち止まって考えられます。
自分の気持ちと向き合う余裕をもてたからこそ、私は自由でいられたのです。
自分に優しく、人に優しく
小学校のとき、大好きな先生には『自分に厳しく、人に優しく』と教えてもらいました。そういう人はかっこいいと思い、小学生ながら強く心がけていました。
今思えば、根底にその思いがあったから、素早く物事を済まそうとしてせっかちになったり、自分の失敗が許せなかったり、「~すべきだ」みたいな考え方になったのかもしれません。
誰も、厳しく生きなくていい。
甘えだとか、現実逃避だとか、そういうことを言うのは決まって余裕のない人です。
自分はもがきながら生きているんだから、お前ももがけ!と言ってるようなものですよ。
「私はニンジン食べないからお前も食べるな!」とか、ぶっとんでますよね。笑
(アイコンはウサギでもニンジンは苦手です)
だから自分にも優しくなろう、って思ったんです。
家族や友人、同僚、自分の周りに誰か一人でも私のことを想ってくれる人がいるなら、自分を大切にするのは私を想うその人を大切にするのと同義ではないでしょうか。
自由を手に入れる
私が求める自由は『好きなことを好きな時に好きなだけ好きなようにできる状態』だったので、それを叶えるために日常をやめました。
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結果として、現在はほぼ理想通りの状態です。
このブログ運営も、知ってるだけで生きやすくなる情報がいっぱいあるのに気付けなかった、もっと早く知りたかったと私が感じたことを伝えたくてやってます。
義務でもなんでもない、私がやりたいと思ったことです。
お金はどうしてるの?と思われるかもしれませんが、みんなと同じようにある分で生きてます。
貯金がゼロになったからといって、今の日本でいきなり死ぬことはありません。
それにお金を得る手段なんていくらでもありますよね。
今まで、誰にも追われているわけではないのに生き急いでいた気がします。
ずーっとマラソンしてた感覚です。タイムなんか誰も計ってないよ、コースもないから途中店に入って新しい靴だって見てもいいよ。好きなようにやりゃいいじゃん。
自由は自分が想像してるよりも、案外あっさりなれるんですね。